春になったら

「春になったら服も買いに行こうね」
車で三十分ほどのレンタルビデオ屋さんからの帰り道
トラックとタクシーばかりの道で
よごれた赤いゴルフ走らせながら
会話の続きみたいに唐突にお父さんがそう言った



そうだねと私は返事をする
手の中にはごまかしみたいなビデオケース
(みたかった新作は借りられなかったから)
くしゃくしゃとなさけない音をたてるビニール袋に爪をたてて
窓の向こうをながめる



春になったら友だちとも会える
今よりほんの少し先がひらけて
今よりほんの少し夜が遠くて
みんなが少し身軽になってる



吐く息も白い
かじかんだ指先がぬくもりをさがす
永遠みたいな真冬の夜より
あたたかい空気がみちてる



そんなものをお父さんもほしいのかなと
そう思ったら少し笑えた
春なんて春なんて今が冬だから言えるんだよ



自販機の前に車を止めてタバコを買う
あけっぱなしのドアとタバコに文句を言いながら
つめたいグレープジュースを頼んでる



帰ったらあたたかいお茶をいれよう
ただいまもお帰りもなしに「なかったよ」と言ったら
ものすごく残念そうな顔で「やっぱりね」と姉は小さくつぶやくだろう
(入学試験を10日後にひかえた身の上で)



春になったらあれもしようこれもしよう
そう言うことのできる真冬の夜を
わたしはけっこう愛している